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第10代熊野別当 泰救:紀伊続風土記(現代語訳)


第10別当 泰救

一条院の御時、長保元年正月3日補任。父は実方中将、母は奥国の人である。殊勝別当が嫡女を儲けたことから、泰救を嫡子にし、別当に補任。治山20年である。寛仁2年10月20日入滅。男子3人、女子2人。

 

上記について考えてみる。

実方中将は、藤原忠平公(貞信公)の曾孫、左大臣師尹(もろただ)公の孫、定時朝臣の子で、叔父済時(なりとき)が養って子とする。一条帝に仕えて侍従右兵衛権佐を経て従四位上左近衛中将に至る。長徳2、3年の頃、小過によって陸奥守に左遷し、同4年11月13日任国にて卒すと諸書に見えている。

さて実方の卒した長徳4年の翌年は長保元年で、本書の泰救の補任の年である。母が奥国人とあるので、実方が陸奥守の任中に産ませた子であるかのようだ。そうであるならば泰救は長徳2、3年の頃の出生であるはずなので、長徳元年にはわずかに2、3歳にすぎない。ならば別当に任ずるべき理はない。もし実方が任国に下る以前の子ならば母が奥国の人ということは誤りである。なお詳らかに長快の条で弁ずる。

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牟婁郡:紀伊続風土記