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秋津荘:紀伊続風土記(現代語訳)


秋津荘 あきづ 全3ヶ村

秋津荘全3ヶ村は芳養荘の東にあって北は北は日高郡南部荘に接し、東は三栖荘栗栖川荘に接し、南は田辺荘に隣する。四面をみな山峰が相囲み、ただ坤(※西南※)の隅に平野が1面あって、田辺荘に続く。

おおよそ南北2里28町余り、東西長短相補って35町ばかり。秋津川村が上にあり、上秋津村が下にあって、2村が相接する所は2つの山が峡をなしてその間1里ばかりわずかに1条の流れを通すのみ。よって秋津川村は北の方に1区域をなし、上秋津村下秋津村は南の方に1区域をなす。その形はほとんど腰鼓のようである。

秋津川村の村居は山渓の間に散在していて1ヶ所に集まらない。しかしながら農樵相兼ねるので生産は乏しくない。上秋津村下秋津村は田畑が 々広く沃野ということができる。この地は古の牟婁郷の内である。秋津の名は『御幸記』及び文治頃の歌に見える。
  熊野旅行記:藤原定家『後鳥羽院熊野御幸記』現代語訳3

荘名の起こったのがいつのときであるのかはわからない。その名の意味を考えると、下秋津の南に秋津王子の神祠がある。この社は古は今の社より南に7町ばかりの柳原(今、下万呂村にある)という地にあった。その地は南の方は田辺荘湊村と相接する。湊は斉明紀にいわゆる牟婁津である。この地はその水門であることをもって水門の神速秋津彦・速秋津姫を祀り、秋津の名が起こったのであろう。秋津王子社はその社であろう(大抵、某の王子と称するのはみな若一王子を祀って地名をこれに頭に載せるが、ままそうでないものがある。古くよりその地に神祠があってここで御神拝などがあった場合、やがてこれをも王子をもって称するものがあるだろう)。

秋津里 秋津山
 夫木抄  家集秋津     法印定円
  みな月の比とも見えぬ草葉かな 秋津のさとの道の露けさ

      里     よみ人しらず
  見わたせば切目の山も霞みつゝ 秋津の里は春めきにけり

   後鳥羽院熊野御幸時切目王子御会
      遠山落葉     春宮亮藤原範光
  見わたせば木々の木の葉も散はてゝ 秋津の山は名のみなりけり
    熊野の歌:熊野懐紙 1.「遠山落葉、海辺晩望」

秋津川
荘中を貫いて流れる。水源は2つあって、東にあるのは上秋津村小名竹藪より来て、西にあるのは同村小名谷ノ川より来て、小名下の産土神の所に至って合流して1つとなり田辺城下に至って海に入る。流れの長さは全部で3里ばかり。

川中奇勝
秋津川村の小名下と上秋津村と相接する所の2つの山が峡をなすその間は1里余りで、秋津川はその間を流れる。山川の形状はほとんど言葉で記すことができない。この地は龍神山が西にあり、鷹尾山が東にあり、巉巌崎嶇として東西に相渡り2つの山がここに来て相迫り対峙して峡をなす。奇巌怪峰が突怒奮揚して崖洠に至って犬牙錯出するものが互いに避けあうようだ。
  熊野の観光名所:竜神山

1条の藍流がその間に注いで宛転紆余として雷のように吼える。その東側に1線の細い道が巌の腰に沿って転回百折断んとしてわずかに通ずる。このようなものが1里余り。その中間に橋があって、線路は西側に転じる。その形状は書の上手な人が書き成したかのようだ。これを高橋という。瀑布があって落差は2丈ばかり。すべてこのような絶勝はこの近くにはない。山容石質はまた他の山と全く異なる。これもまた1奇である。峡中に帚蘭を産する。常に百匹余りの猿の群れが出てきて遊ぶ。鷹尾山より来る猿の群れはみな鼠色で、龍神山より来る猿はみな黒毛であると土地の人がいう。

秋津荘3ヶ村


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牟婁郡:紀伊続風土記