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三里郷:紀伊続風土記(現代語訳)


三里郷 みさと 全11ヶ村

熊野本宮大社

三里郷全11ヶ村、東は花井入鹿2郷に接し、西は口熊野四番荘に接し、南は四村荘及び三村荘に界(さかい)し、北は大和国十津川と界する。その広さはおおよそ4里四方余り。

この郷はもと本宮の神領で三里の名は社家の古い記録に見られる(本宮社家の古伝の記録に源将軍頼朝卿が三敷屋の地を本宮に寄付せられたとある)。三里と名づけたのは、その本となった村が3つであることからいうのであろう。慶長検地帳に三里郷と書いてある。
  熊野の観光名所:熊野本宮大社
  熊野の観光名所:熊野本宮大社旧社地「大斎原」

後世は9ヶ村あって、その本村分村の差別はいま詳らかにしがたい。敷屋は三里の外であるが、同じ神領の地なので、いま三里郷にこれを総べさせている(敷屋の神領であることは社家の古い記録に見えている。その文は上に出ている)。

四村荘三里郷合わせて35ヶ村みな中世、本宮の神領である。ゆえにあるいは高山検校といい、あるいは敷屋総領、和田検断などという名目がある(竹坊は5ヶ村を総べて高山検校に補せられる正安の文書がある。また西敷屋村の妙見社の長享天正などの棟札に司喜屋総領紀某とある。また檜葉村の和田氏は文明から天正の頃まで四村荘検断職であったことをもって世にこれを和田検断という)。みな神領の内を分け掌る名と思われる。

三里郷の諸村みな本宮に接近するが、もとは深山中の地なので田畑は少なく熊野川船の往来があって山稼ぎに。しかしながら山は広くなく材木を多く出すことはできない。総じてこれを論ずるとみな寒村で仕事は乏しい。

三里郷11ヶ村

 


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牟婁郡:紀伊続風土記