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万呂荘:紀伊続風土記(現代語訳)


万呂荘 まろ 全3ヶ村

(以下、万呂・三栖両荘について)
万呂・三栖両荘全9ヶ村は一溪の内にあって中辺路往還である。三栖荘はその艮の方(※東北※)上流にあって、万呂荘はその坤(※西南※)下流にあって土地は最も狭小で三栖荘に較べればわずかに10分の1にも及ばない。

2荘に通してこれをいうと、北に槇山を負って栗栖川荘と界し、東は岩田郷に隣し、西は秋津荘と接し3方いずれも山峰をもって堺とする。ただ西南の端、田辺・秋津2荘に相接する所は平野である。その広さは南北3里余り、東西は北の方槇山の麓では2里半に余り、南の方ではわずかに20余町である。

万呂は牟婁の転であって、2荘は古えの牟婁郷の内である。『御幸記』に丸王子がある。これは万呂の名の見えた始めである。荘名となしたのがいずれのときからかは詳らかにしない。三栖の名は『御幸記』にみすの山王子がある。この荘中は古え熊野権現の御簾の領田であったことからその名が起こったと伝えいう。
  熊野旅行記:藤原定家『後鳥羽院熊野御幸記』現代語訳3
  熊野の観光名所:珠簾神社

2荘の風俗民産は尋常の田家で別に記すべきことはない。ただ槇山の麓は梯田が多く、馬我野・伏菟野2村は最山村で僻遠の地といえる。

槇山
事は栗栖川荘論の下に載せる。

三栖山
下三栖村から岩田郷岡村に越える山をいう。登り13町。熊野詣の古道である。
 山家集  熊野へまいりけるに八上の王子の花面白かりければ社に書きつけける
  待ちきつる八上の桜咲きにけり あらくおろすなみすの山風
  熊野の観光名所:八上神社
  熊野の歌:西行法師

○三栖川
源は伏菟野村目良より流れ出て長瀬村・三栖3ヶ村・万呂3ヶ村を経て下万呂村笠松代という所で秋津川と落ち合う。

熊野古道
万呂荘上万呂村から下三栖村に至り、小名がけの鼻という所にて今の往還と別れ、巽(※東南※)に向かって岩田郷岡村に至り岩田川に沿って滝尻王子に至る。これが古道である。今の街道に改まったのはいずれのときであるのか知らない。
  熊野古道の歩き方

万呂荘3ヶ村

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牟婁郡:紀伊続風土記