瀬戸村:現・和歌山県西牟婁郡白浜町
瀬戸村:紀伊続風土記(現代語訳)
瀬戸村 せと 小名 綱不知(つなしらず) 田畑高 242石7斗3升1合 この地は牟婁ノ温泉の地で、古は別に大名がなかった。その地形は古海湾の北の端中間南北に切れて島があって別に迫門(せと)をなしていた(島はすなわち今の遠見番所及び御殿跡の地である)。海潮が退いて迫門が陸となり島とひとつとなる。人民が初めてこの地に村居をしてから迫門の名がこの地の大名となり文字を瀬戸と改めた。古の迫門であったという地は今は汚下でその形はまだ残っている。また田地の字に島の前という名も残っている。村中の土地はみな岩石で井戸を掘ることができず、ただ迫門の一条井を穿つことができたという。古の形を知るべきである。 正保年間に温泉のある所の海浜数町の間に家が充満したので別に1村となし鉛山村という。村居のある所はまた瀬戸村の領と犬牙相交じっている。いま詳らかに弁ずることはできない。ゆえに湯のことは鉛山村の条に載せる。瀬戸の小名は3つある。本村の北にあるのを恵津良といい、東にあるのを綱不知、立ガ谷という。みな家居があり、大抵みな漁戸である。 ○三社権現社 境内森山周8町 ○藤九郎盛長社 境内周森山除地 ○衣比須社 村の中にある。 ○本覚寺 大信山 浄土宗鎮西派京知恩院末 ○薬師堂 湯谷という所にある。鉛山村入合の所である。事は鉛山村の条に載せる。森三大夫という者が支配する。茶所がある。 ○瀬戸崎番所 ○白良浜 夫木抄 百首歌に千鳥 寂念法師 同 天禄三年五月資子内親王家歌合 よみ人しらず 永久四年百首度 仲実朝臣 入道摂政家御屏風 兼盛 宝治三年八月四条宮扇歌合 よみ人しらず 家集 鴨長明 出湯 仲実朝臣 後鳥羽院熊野御幸滝尻王子御会 山家集 内に貝あはせんとてさせ給ひたる人にかはりて 西行法師 人々な よひて和歌よむによむ してうらみおこせ り れば 讃岐入道顕綱 柏玉集 百首に浜菊 後柏原院御製 雪玉集 浜砂 逍遥院内大臣 和歌山県西牟婁郡白浜町 読み方:わかやまけん にしむろぐん しらはまちょう 郵便番号:〒
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