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第25代熊野別当 琳快:紀伊続風土記(現代語訳)


第25別当 琳快

行快の三男。貞応元年6月補任。別当治山7年。ただし新宮法印信快、田辺法印快実、この2人が権別当の論を致す。承久3年に京が坂東と合戦を起こしたので、快実は院方軍□□、信快は院方軍将軍の御勘当無□世然問、権別当にならず、すぐに別当になって治山。

43歳でイトコ由緒により師打罪、安貞3年戊子7月下野国(このように記してまた側に「承久合戦の後、二位法印新兵衛を隠し置いたので、その罪科を漏れず、安貞3年7月に下野に流罪。そこで死去した」ともある。他にも側に記したことがあるが欠文でその意味が通じない。一本には「この別当は謀反人於籠置により被新宮の覚遍、足利に流罪にされる。43才で死去。治山7年」とある。『東鑑』承久3年6月25日の条に「二位法印覚長能登守秀康逐電云々」とある。この文に「二位法印新兵衛を隠し置いた」とあるのはこの人であろう。第28尋快の条下を合わせ考えよ)。

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牟婁郡:紀伊続風土記