第24代熊野別当 湛政:熊野別当代々次第
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第24代熊野別当 湛政:紀伊続風土記(現代語訳)
第24別当 湛政
湛快の三男。承元2年戊辰9月27日甲子に補任。同3年10月12日辰時、法印を叙す。同4年5月15日、権大僧都に叙任する。貞応元年9年6月17日、76歳で死去した。男子3人、女子4人。治山15年。
『玉海(※九条兼実の日記。『玉葉』とも※)』の治承4年正月1日に「熊野湛故法橋に叙す」とある湛故は湛政の誤りで同人であろう。また『東鑑』文治5年の条の頼朝請文に「熊野の御領の播磨国浦上荘の事、右の限りある年貢は、湛政に徴納させるとのこと。景時の代官が陳情して申す旨を見たけれども、ややもすれば社役を欠怠し、お嘆き思し召す次第である云々」と見えている湛政もこの人であろう。
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