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四村荘:紀伊続風土記(現代語訳)


四村荘 よむら 全24ヶ村

四村荘全24ヶ村、南は小口川七川谷2郷と界し、北は三里郷に隣り合い、南は三里郷三村郷2郷に続き、西は四番荘と接する。その広さは東西は大塔峯の麓までおおよそ7里余り、南北はおおよそ5里。

荘の中に川が2つあって、渓筋は2つに分かれる。その1つを筌川という(筌は魚を捕る道具。この川にて筌を作り魚を捕ったことから筌川という。いま訛って転じ請川という)。南にあって筌川の源は静川の奥の大塔峯より発し、北に流れ請川村に至って熊野川に入る。四村川の源は四番荘道湯川村に発して武住村大瀬村を経て東に流れて耳打村に至って筌川に落ち合う。
  熊野の歌:熊野川
  熊野の観光名所:筌川(現・大塔川)

大津荷小津荷村高山請川の4ヶ村は熊野川の東西にある。蓑尾谷村は荘の中で最南にある。

その他耳打田代大野和田静川野竹の6ヶ村は筌川の左右にある。静川は極めて深い山中にあってその奥は大塔峯に続いて人跡未踏の所がある。その深さはついに測り知ることができない。しかしながら舟運が静川村まで通じて山稼ぎがもっとも便利なので家数も多く家立もよく寒村の様子はない。

渡瀬下湯川久保野曲川檜葉小々森皆地平治川武住大瀬の10ヶ村は四村川の左右にあって田畑少なく谷狭く舟運の通いがないので、みな寒村である。大瀬村武住村は極めて山中にあって貧困が甚だしいという。ただし湯峯は浴客があるので産業の助がある。

請川村は大川(※熊野川※)の落ち合いにあって十津川並びに近辺の山中の諸貨がみなこの地に集まるので、商売多くやや富豪の者がある。

この荘は古くは本宮領で(本宮社家古伝記に四村は源将軍頼朝卿が本宮へ寄進された地であるとある)、その領内を4段に分けて四村というらしい。村々の古い検地帳の内に上の村、中の村などの名があるときは、4段の名目上中下奥などと分けたのであろう。その詳らかなことは今は知りがたい。
  熊野の観光名所:熊野本宮大社
  熊野の観光名所:熊野本宮大社旧社地「大斎原」

四村荘24ヶ村

 


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牟婁郡:紀伊続風土記