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鮒田村:紀伊続風土記(現代語訳)


鮒田村 ふなだ

鮒田水門

新宮城下の亥の方(※北北西※)、大川を隔てて相対する。大野谷の口に村居する。村の未の方(※南西微南※)は鮒田村富士ヶ硲を境に浅里郷檜杖村と接する。東の方は大川岸の平島を境に成川村と接する。

永徳の文書には船田と書く。鮒田の文字は文亀の文書に見られる(ともに新宮神庫の蔵)。大野川合流の深淵に尺余の鮒が多く、美味で他に類するものはない。村名はこれより起こるという。

牛鼻神社  境内 東西203間、南北62間
 社 表行1丈八尺余
村の巳の方(※南南東※)5町ばかり、大川の北岸にある。牛ヶ鼻は社地の出崎の字である。宇井・鈴木・榎本の3氏の祖神を祭るという。荘中の総産土神。新宮の末社で御修覆所である。祭日は2月2日。

牛鼻神社
  牛鼻神社:熊野の観光名所

小祠1社

大通寺  大伝山 禅宗臨済派海部郡興国寺末、村の中にある。

湯谷 
村の乾(※北西※)にある。渓流の源は高岡村と浅里郷浅里村の界の山から出て大野川に落ち合う。谷の中に弁慶の産湯というのがある。よって湯の谷という。渓流は大岩の間に奔注してひとあしごとに賞すべし。渓間にある行(ぎょうの)滝・矢筈滝・布引滝などはみな賞すべし。

清浄滝 
湯谷の中、村から10町余にある。高さ10間ばかり。滝壺は深い。銚子口(ちょうしぐち)の淵という。樹が鬱蒼と茂っていて見えにくい。

矢筈滝 
湯谷の中にある。懸かり落ちる高さは20間ばかり。水が少ないのを恨みとする。

弁慶産湯 
矢筈滝の下にある。岩間からわずかに湧き出る。古老は伝では、弁慶が鮒田で産まれたとき産湯に用いたためこの名があるとか(弁慶は田辺で生まれたとはいう。田辺城の条に出ている。いずれも正しいことはわからない)。

行(おこない)滝 
湯谷の枝谷にある。高さは15間、幅2間ばかり。水は多い。

布引滝 
湯谷に19町ばかり入った所にある。懸かり落ちる高さは50間、幅は4間ばかり。山は草山で大木はない。その地の幅は1町ばかりである。□で削ったような大岩がある。滝はその岩の上に懸かる。じつに壮観である。入鹿荘の三井良の滝に少し劣るが、眺望の地が広く幽谷でなくてこの壮観があることは他に類は稀である。

牛ガ鼻ノ渡
村の巳の方(※南南東※)5町ばかりにある。新宮往還で渡し舟がある。

鈴木屋敷跡
村の中、川端にある。熊野の旧家鈴木氏の宅地の跡といって大きな塚がある。塚の上に膽八樹(ヅクノキ)の老木がある。みだりに枝などを折り取ると、その者はたちまち狂乱すると言い伝える。また毎年正月にはこの塚に粥枝などを立て、村民は尊仰する。鈴木の森と称するが、鈴木氏が亡絶して久しいと見えて、今その伝を知る者はいない。

産屋楠
村端の川辺にある。高さ13間、周囲9尋。土地の人は弁慶産屋の柱と呼び、弁慶がこの地で生い立ったという。また一説では鈴木氏の先祖が植え置いたともいう。その大樹の大きな洞になった洞中で9梯を振り回しても邪魔する所がないという。乞児がその中に住んで飯など炊いたが、過ってその樹に燃え付いて、ついに枯れたという。惜しむべきことだ。寛政7年のことだとか。

弁慶産屋の楠跡
  弁慶産屋の楠跡:熊野の観光名所

三重県南牟婁郡紀宝町鮒田

読み方:みえけん みなみむろぐん きほうちょう ふなだ

郵便番号:〒519-5714

紀宝町の観光スポット宿泊施設

牟婁郡:紀伊続風土記