神上村:現・三重県熊野市神川町神上
神上村:紀伊続風土記(現代語訳)
神上村 こうのうえ 小名 河瀬(かわせ)
西山郷の辰の方(※南東微北※)21町にある。北山川の中、獺戸大滝という渡しを荘の境として、東の方は長原村と1つの谷の中にあって、その中を流れる川を神上川という。南の方は西山郷の粉所村と日暮峠を隔てて相対する。
村名は『寛永記』では高野宇井と書く。考えるに、当荘は古くは新宮の飛鳥神社の神戸と見える。村名は神の宇井の意味で、神(こう)所・神山と同じくみな神戸をいう名である。宇井は別に1区域をなす地をいう名であることはすでに有田郡石垣荘宇井苔村の条下でいっている。
村の亥子の方(※北微西※)1里ばかり、北山川の岸にあるのを小名川瀬という。家はわずかに3軒ばかりある。
○飛鳥社 境内周4町
3社(左 新宮速玉命 中 本宮事解命 右 飛鳥神) 拝殿
村の中、神上川の南にある。神上村・長原村の両村の産土神である。新宮末社の中で飛鳥荒祭宮という3社の中の飛鳥神を産土神とする。本宮・新宮は後に祭り添えたのであろう。社殿も備わり、山中では大社である。『寛永記』に「権現御草鞋脱所といい伝えて、村から1町上の山に畳2畳半敷きの島がある」とある。これは初めの勧請の地で、後に今の地に遷座したのであろう。
また「古は毎年9月11月の2度の祭礼に8色の物を献ずることがあった(8色は坊の谷の鹿の皮3枚、北の峯の□13本、はき3把、曲桶12、栃の折敷60枚、柄杓12本、栗1斗2升、柿6斗である)。慶長検地の後、神田が没収されて、9月の祭に栗柿のみを献ず」と書いてある。今はこの2種を献ずることも絶えてしまったという。村の中に字栗林というのがある(古くは方1町の林であったが、今は20間ばかりの芝となっている)。8色の中の栗はこの林のを奉ったのであろう。
○山寺大権現社 境内(65間 55間)
本社(方6尺) 拝殿 鳥居
村の乾(※北西※)の山にある。申の時(※午後4時※)を過ぎると参詣を禁ずる。山上は女人結界である。観音を本地仏とする。ゆえに山ノ寺観音ともいう。祀神は詳らかでない。飛鳥社と接して山上に祀って結界の地とすることから考えると、新宮の神倉と同神であろう。
10月晦日を祭日とする。ゆえに北山川を下る筏士等は毎月晦日は獺戸滝(神上村・七色村の堺である)にて筏を下さずという。また筏乗の組より1日に12銅宛の初穂を社に奉る。嶺泉寺は古の別当寺であったが、今も嶺泉寺が社のことを支配し、住僧は不浄の火を忌む。
○嶺泉寺 照光山 禅宗曹洞派伊豆国賀茂郡大見郷宮上村最勝院末、村の北、山根にある。
○城跡
村の中の山下にある。山を要害山という。天正17年に農民の築所である。堀形等が遺っている。
○神上川
源は有馬荘の井土村から流れ、長原村、当村を経て北山川に落ち合う。谷の流れは1里半ばかりある。
○硯財神溪石
村の南4、5町、飛鳥神社のある溪にある。よって神溪石という。硯財の上品とする。質は堅密にして色は□黒である。土地の人は神上(こうのうえ)石という。
三重県熊野市神川町神上
読み方:みえけん くまのし かみかわちょう こうのうえ
郵便番号:〒519-4442