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三尾川村:紀伊続風土記(現代語訳)


三尾川村 とがわ

光泉寺

 田畑高 350石1斗5升6合
 家数  86軒
 人数  405人

大川村の西15町にある。古座川の左の枝谷で、村中まで舟の往来がある。村中に中山があって人家が所々に散在する。小玉山・宮山・中山の3つの尾根筋が突き合っている所が村中にあることから三つ尾川の名がある。「みと」は「みつお」の約である。

小祠4社
 矢倉明神社 小名追の野にある。
 若宮    小名中村にある。
 天日神社  小名小節川にある。
 八幡宮   村中にある。1村の氏神である。社は4尺に3尺5寸。

光泉寺  古伝山 禅宗曹洞派新宮城下宗応寺末
 本堂(6間半、4間半)
村中にある。

光泉寺
  熊野の観光名所:光泉寺

旧家       日下幸内
家系によると永正年中に日下左近将監信州より潮埼荘の安指浦(和深浦の小名)に着岸し、当所に来て土居を構えて居住した。その後裔が大荘屋を勤める。今、医家となる。

不動の木像1体を所蔵する。厨子に応永11甲申12月23日願主藤原信近道衛敬白とある。また赤旗2流れを所蔵する。別家に地士安之右衛門、為助がいる。

地士       日下安之右衛門
          日下為助

(※北西※)30町ばかりにある。当村領で三尾川と佐本川の流れが古座川に落ち合って川幅が広くなっていることから三尾川の名がある。

真砂 まなご

本村の北1里にある。三尾川はこれより上流は川中に岩が多く川幅もやや狭くて舟の通路が通い難い。古座川海口からここまで川の長さは6里ばかり。七川谷郷の諸村が材木の類をみな当所まで担い出して舟に積むので、この地は人家が多く町をなして近辺の諸村と異なる。

考えると栗栖川の上流でも舟の通路の限界の地を真砂という。真砂は小石の名で、この地も川中に小岩が多いのでそういうのであろう。およそ舟の往来の滞る所は岩が多くて滝をなす。栗栖川の滝尻、安宅川の市鹿野の滝、当所のゑひの滝、みな同じである。

宝山明神社  境内森山 高さ15間、周60間  社 2間半、1間半
寛永16年に勧請したという。祭神は詳らかでない。本地仏は十一面観音とか。

大師堂
寛永8年2月に勧請した。寺号は佐本荘里川村の廃寺の名を譲り受けたという。

和歌山県東牟婁郡古座川町三尾川

読み方:わかやまけん ひがしむろぐん こざがわちょう みとがわ

郵便番号:〒649-4455

古座川町の観光スポット宿泊施設

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牟婁郡:紀伊続風土記