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周参見浦:紀伊続風土記(現代語訳)


周参見浦 すさみ 小名 上戸川(こうどがわ) 広瀬河(ひろせ) 下戸川(しもとかわ) 朝来(あさら)

周参見王子神社

 田畑高 980石4斗4升9合
 家数  542軒
 人数  2424人

安宅荘塩野村の南にあって1荘の乾(※北西※)の隅にある。東に周参見川を受け、北に太間川を受け、両渓合流の所に当たって、坤(※西南※)は海に面する地である。渓間に山脚が雑出して平田の地は一所に集まらない。故に村居は諸谷の間に散在して小名を称するものが最も多い。上戸川・下戸川・広瀬・朝来の4つはその大きなものでその他、坊地(本村より8町)・平松(本村より7町)・太間地(本村より16町)・立野(本村より13町)・奴田谷(本村より13町)などの小名がある。但し海に浜するものを本村として人家が多くここに集まり、民の産業は農漁を兼ねている。

浦の正面の海15町ばかりを隔てて稲積島(いなづみじま)があるので船繋りの湊とする。しかしながら南の方は稲積島と陸地との間の海上2町ばかり欠けているので風によっては船をかけがたいという。

だいたいこの地は口熊野の海浜の中央にあって土地もまたやや広々としているので口熊野の郡府がここにある。郡令が1人常にこの地に来て郡事を聴断する。

周参見の名前の意味を考えると、古歌に「風すさぶ」「吹きすさぶ」というのと同じ意味で、この地は波風が烈しい海なので須佐備宇美を略して須佐美と称するのであろう。(※略※)

若一王子権現社  境内森山周2町20間
本村の中、山崎にある。周参見1村の産土神とする。天文15年、文禄3年の棟札がある。天文のには周参見領主左衛門大夫藤原氏安と書いてあり、文禄のにも同人で主馬太夫と書いてある。拝殿がある。

周参見王子神社
  熊野の観光名所:周参見王子神社

春日社  境内森山周5町20間
 春日社・八幡宮合祀  末社1社  拝殿
坊地にある。春日社は享禄3年・天正6年・寛文8年等の棟札がある。八幡宮は古は小名瀬山という所の産土神であったが、その地が亡処したので春日の社内に移したという。

春日社  境内森山周2町
 神体木像  拝殿
立野の原という所にある。文禄5年・元和9年以後の棟札がある。

小祠3社
 衣美須社(社地周16間、本村の村中にある)
 秋葉社(社地周32間)
 金比羅社(社地周30間、坊地にある。安永9年村民の伊藤兵蔵が初めて勧請したという)

万福寺 安養山  禅宗臨済派京妙心寺末
 本堂(7間半、5間)  僧坊(9間、6間)  鐘楼
 東庵(観音谷より寺内に移したという)
村中にある。末寺がある。

仏願寺  真言宗三宝院門跡末
 本堂(5間、4間)  僧坊  鐘楼
村中にある。

法幢寺 天龍山  浄土真宗西派本願寺末
 本堂(6間、4間半)  僧坊  鐘楼
立野にある。

実宝寺 龍雲山  禅宗臨済派京妙心寺塔頭春光院末
 本堂(5間半、5間)  僧坊(7間半、5間)  鐘楼  般若堂
坊地にある。末寺が1ヶ寺ある。

東仙庵(5間半、4間半)
 祈念堂
村中にある。修験者がこれに居る。

小堂4
 仙旧庵(沼田谷にある)  向ノ庵(山崎にある)
 釈迦堂(立野の内曲りにある)

畑庵  禅宗臨済派村中の持宝末、畑地にある。

廃法蓮寺 藤原山  禅宗臨済派京妙心寺末
 仙旧庵(沼田谷にある)  向ノ庵(山崎にある)
 釈迦堂(立野の内曲りにある)

稲積島
本村の正面の海の中にある。周9町。樹木が繁茂し、四季で色を変えない。島の中はみな山王王子社の境内である。この島の東端地方の出崎からの距離はわずかに2町ばかり。もしここを埋めて陸続きにさせられれば、この浦は舟掛りがよく廻船が泊まることができて繁昌の地となるであろうという。

稲積島
  熊野の観光名所:稲積島
  熊野の観光名所:すさみ海水浴場

山王王子社  境内周9町
稲積島にある。この島は周参見浦の正面にある。寛永20年の棟札に電隈山皇子(いなづみやまおうじ)と書いてある。これが古の神号である。延宝2年の棟札が初めて弁財天社と書くがそれは誤りである(世の人は海崖江上に臨める神は多く弁財天とする。みな僧侶のこじつけから出るものである。この神が弁財天となるのもまたこの類である)。しかしながらその電隈山皇子と称する神もどのような神でいらっしゃるのかわからない。考えてみるに、本国神名帳伊都郡に稲積神社があるが、この神と同神であろうか。

周参見川
源は小河内村から出て、上戸川を経て広瀬、下戸川等の諸谷の水を合わせて周参見に至って海に入る。川の流れの総延長は8町ばかり。川は浅くて船便を通すには足らない。

太間地
源は太間川村から出て艮(※東北※)より坤(※西南※)に向かって流れること3里ばかりで周参見本村に至って周参見川の合流して海に入る。この川は太間川村領を過ぎて周参見浦領に入って、水は地中を潜行する。15〜16町潜行して下曾根田という所に至ってまた涌き出て5町ばかりして周参見川に入る。いつもはそのようであるが、雨の後で水が出れば普通の川のように地上を行く。太間は絶間である。地中を潜行して水が絶えることからその所を太間地という。

上戸川(かみどがわ)
本村の東1里半にある。上戸川は周参見川の上流で本村の東の蛇石という所で渓筋が2つに分かれて東に行くのを上戸川とし、東北に行くのを下戸川とする。戸川は元来洞川である(下戸川の諏訪神社の慶長10年の棟札に下洞川と書いてある)。この2つの谷ははなはだ狭く2つの山が聳えてその間は洞のようであるので保羅川と名づけたのだ。保羅川を文字にして洞川と書いたのを音で読んで登宇川といって、それが短くなってついに戸川となったのだ。

下戸川(しもとがわ)
周参見川の上流、蛇石に至って渓が分かれて2つとなる。その艮(※東北※)に分かれるものを下戸川とする。分かれる所から渓に入ること2町ばかりで2つの山が高く聳え奇巌下に臨んで墜ちんとするものはみな美観である。
渓中の少し開けた所に民家が10軒ばかりある。下戸川の山方2里の間は山本佐大夫という者の領する所で、今に至って下戸川の民家は佐大夫の百姓という。佐大夫は本村に住す。
諏訪明神社
下戸川にあってそこの産土神である。山本氏が祀る所という。慶長10年社修造の棟札には領主山本長左衛門と書いてある(享保以後の棟札に春日明神と書いてあるのは誤りである)

広瀬(ひろせ)
本村の東2里にある。下戸川を経て山峯に従っていくと水晶峯に至る。その峯より東は谷に向かって下れば広瀬である。下戸川の枝谷で、やや広いので広瀬の名がある。水晶峯は水晶があるので名づけるが、至って小さい。土を深く掘ればあるいは大きなものもでるかという。

朝来(あさら)
本村の坤の方(※西南※)17町ばかりにあって海に臨んで村居する。朝来はあるいは浅皿と書く。

旧家2家       周参見氏・山本氏 

和歌山県西牟婁郡すさみ町周参見

読み方:わかやまけんにしむろぐん すさみちょう すさみ

郵便番号:〒649-2621

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牟婁郡:紀伊続風土記