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佐野村:紀伊続風土記(現代語訳)


佐野村 さの

佐野王子跡

宇久井村の北22町半にある。三輪崎村と相接して海に面し、新宮往還にある。佐野は古くは狭野と書いていた。狭野の名は神武紀と万葉集などに見える。詳らかに荘論に見える。

  万葉集:熊野の歌
  三輪の崎・狭野:熊野の歌 

下諏訪社
村の西7町にある。三輪崎村の上諏訪社と同じく荘中の産土神で、堀内氏が勧請したものである。

若一王子森  境内森山周240間
村の南、往還にある。那智の末社である。今、社は廃した。色川清水家の応永の由緒書きに維盛のことを書いて佐野王子とあるのはこの社である。また寛文記に佐野村・三輪崎村・宇久井村木川村上野村の5村の王子とある。

佐野王子跡
  熊野の観光名所:佐野王子跡

岡 明神社王  境内森山周196間
村の亥の方(※北北西※)7町にある。村中の著姓石垣氏の祖神千世貞を祭っているとか。ゆえに当社の修営は石垣一家がなすところという。岡は社地の小名である。

小祠1社

南珠寺  医王山 
村中にある。本堂(7間、6間)、僧坊がある。

佐野岡
村の未の方(※南西微南※)5町ばかり、街道より上にある。土地の人は岡とだけいう。歌に詠まれることが多い。三輪が崎を詠み合わせたのはその条にある。

万葉集  山辺宿禰赤人歌
 秋風の寒き朝明を佐農の岡 越ゆらむ君に衣きぬ貸さましを

続古今集  後鳥羽院に奉りける百首に  光明峯寺入道前摂政左大臣
 さのゝ岡越えゆく人の衣手に さむきあさけの雪はふりつゝ

新拾遺集  室治百首歌に  正三位知家
 こよひもやさのゝ岡べの秋風に さゝ葉かりしきひとりかもねん

夫木抄  篠  衣笠内大臣
 あらしふくさのゝ岡べの朝露に さゝわけ衣ぬれつゝぞゆく

夫木抄  里人の言つたへたる歌  花山院御製
 さのゝ岡□とりや越えむ秋風に 篠の葉さやぎ寒き朝明

拾玉集  夏十首中に  慈鎮和尚
 さみだれは佐野の入江に水越えて 出ぬ尾花や浪のうき草

拾遺愚草  羇中霰  定家卿
 冬の日霰ふりはへ朝たてば 波になみこすさのゝ松風

  駒とめて袖うちはらふかげもなし さのゝわたりの雪の夕ぐれ

雪玉集  岡上若菜  逍遥院内大臣
 わかなつむ袖□ならし佐野の岡 また春風も寒き朝けに

秋津野浦
村の海辺、宇久井村との境、祓川の辺までをいうのだ。

藻汐草  恵重法師
 藻苅り舟秋津の浦に棹さし□ おもふ人とち漕つゝ□ゆ□

佐野松原
当村領の海辺から宇久井村の海辺まで立ち連なる松原をいう。

御集  後鳥羽院御製
わすれずよ松の葉越しに浪かけて 夜ふかく出し佐野の月影

夫木抄  熊野十二首歌  大蔵卿隆博
 駒なつむ佐野の朝けに見渡せば 松原遠くふれる白雪

房州殿ノ芝
村の未の方(※南西微南※)、街道にある。芝原である。今訛って「ぼしとの芝」というとか。

祓川
村の未の方(※南西微南※)12町余りにある。街道に橋をかけている。また王子の川という。源は三輪崎村領から流れ出て、当村領から流れる川と木川村から流れる川と落ち合い、三輪崎から43町余りで海に入る。この川の祓川というのは、古、那智山の社僧が祈祷して祓具を流してからいうという。

和田森城蹟
村の午未の方15町余りにある。9間に20間ばかり。堀内安房守の砦という。

城の森城跡
村の北4町にある。山上平地5間に10間、次の段は方4間ばかりである。事跡は詳らかでない。

那智黒石
碁石で世に那智黒といって翫弄するものの多くは、この海辺から出るものである。また金銀の質を計るといってすりつけると、その品質を計ることができる。ゆえに試石(つくいし)ともいう(漢名 試金石)。浜にあるときは藍色であるが、翫摩するにしたがって黒漆のように肌密にして愛すべきものだ。

  那智黒石:熊野の名産品

和歌山県新宮市佐野

読み方:わかやまけん しんぐうし さの

郵便番号:〒647-0071

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牟婁郡:紀伊続風土記