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本宮村


音無梅

村の中で社家の音無里見という者の家の庭にある。八重の白梅である。昔、後鳥羽院の御幸のとき、人夫が歌を詠んだことを言い伝える。これを『沙石集』に載せて、後嵯峨院のときとある。その他は同じ物語である。『沙石集』に、

後嵯峨法皇の御熊野詣があったとき、伊勢の国の人夫の中のひとりが本宮の音無川という所の梅の花の盛りであるのを見て詠んだ。
 おとなしにさきそめにける梅の花 にほはざりせばいかでしらまし

人夫の歌はまことに秀歌であった。このことを御下向のとき、道で自然にお聞きになって北面の下郎に仰せになってお呼びになった。馬であちこちめぐって本宮で歌を詠んだ人夫はだれかと問うと、「これが、その男です」と、傍の人が申し上げたので、北面の者はその男に「仰せである。参上せよ」と言った、そのご返事に、
 花ならば折てぞ人の問ふべきに なりさがりたるみこそつらけれ

さて、返事には及ばず、恥じるべきところを恥じもせずに馬より降りて、男を連れて参上した。法皇 は事の子細をお聞きになって、お感じになることがあって、「どんな事でも望みを申せ」と仰せくださる。「言う甲斐なき身でございますので、どのような望みを申し上げることができましょうか」と申し上げたけれども、「何か身分に見合う望みはないだろうか」と仰せくださったので、「母を養うほどの御恩を望みます」と申し上げたところ、百姓であるので、「彼の所帯は公事(賦役)を一切免除する。永代、子孫までこの約束を違えぬように」との御下文をお与えになったのは、格別の報賞であった。百姓の子であったけれども、寺で歌の道を学んだのだと、人は申したという。
  熊野の説話:謡曲「巻絹」

 


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