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池口村:紀伊続風土記(現代語訳)


池口村 いけのくち

 田畑高 78石2斗2升4合
 家数  67軒
 人数  288人

高川原村の乾(※北西※)にある。村居が相接して古座川に添う。産土神・菩提寺ともに池山村と持合であるのは、古くは池山村から分かれた村であるからであろう(村の名前の意味は池山村の条に出ている)。

山王権現三社  1社7座宛
村の中にある。中湊村西向浦神川村、3ヶ村の産土神である。社は当村領にあるが、当村の産土神ではない。拝殿がある。応永元年12月小山五郎左衛門隆春の一族の勧請の棟札がある(今、西向浦の小山氏が所持する)。土地の人が伝えていうには、小山氏が山王を信仰して領地の内に今の社地を見立て造営し、一族ともに氏神とした社で、中湊村等3ヶ村は一族が多かったので今に至るまで3ヶ村の氏神とするのだ。

後、寛永17年高川原摂津守の末葉六右衛門尉の再建によって祭礼の座に小山の子孫を左の上座とし高川原の子孫を右の上座とする(ただし右の上座は今は出席しない)。

什物に本地仏の鏡8面、木像21体がある。また地引網が1帖ある。古より宮に属した網で、祭礼の前日には供物の鯛をとる網であったが、今は稼網となり、中湊網という。中湊村は海村ではないが、この1帖は漁事をなすことを□ざる。

霊巌寺  龍谷山 禅宗曹洞派有馬荘口有馬安楽寺末
 本堂(6間、7間半)  僧坊  鐘楼堂
村の中にある。

旧家     地士 中西孫左衛門禅
家系によると、天正年間に摂州池田ノ城主池田筑後守正久の子、八郎三郎勝政が荒木村重に押領されて、その子吉兵衛勝恒が当村に逃れ居住した。慶長年間に海部郡小雑賀村の中西氏を養子として氏を改める。その子孫が4代、大庄屋を勤める。代々地士である。

池山川
源は池山村の乾(※北西※)の七曲り山より出て、当村を経て古座川に落ち合う。

和歌山県東牟婁郡古座川町高池

読み方:わかやまけん ひがしむろぐん こざがわちょう たかいけ

郵便番号:〒649-4104

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牟婁郡:紀伊続風土記